「昔に比べて日本人は道徳心を失い、自己中心主義がしている」「モラルの低下が著しい」保守層にはこういうことを言う人が多いが、本当にそうだろうか?昔にも道徳心の低い人はたくさんいたと思のだが、客観的に検証した研究とかはあるんだろうかと思う。
例えば道徳心やモラルの低下の事例は、親殺しとか、子殺しとか、不法投棄とかいじめとか、たくさんあげられるんだけど、どれをとっても江戸時代や明治時代にも、あったものじゃないのかと思う。
私は昔の日本より今の日本は少しずついい国になってきていると思っている。
そういう考え方に立って、古い日本の悪い部分を、少しずつ良くしていきたいと活動している。
昔の日本はよかったというような思い込みは、ちょっと違うのではないだろうか。
江戸時代や明治時代で自分が生きたいかと言われたら、やっぱり今のほうがいいと率直に思う。
このページは、京都をもっといい街へと進化させることを目指し京都市北区で活動する片桐直哉を紹介するページです。 新しい地域コミュニティを創造する活動、政治へのアプローチや行政書士の仕事を通して、京都の街を進化させる最前線で活動しています。
2011年1月16日
コミュニティのこれから
最近、地域コミュニティの再生という政策課題がよく議論される。
再生というからには、壊れた現状からの再生ということなのだが、
このコミュニティの再生というもののあり方については、ものすごく議論が拡散している。
いわゆる地縁血縁に基づいた従来型のコミュニティに今の人たちを参加させていこうという考え方が片方にある。
個人主義をあらため、みんなで支え合うコミュニティを復活っさせたいという考え方である。
私はこういう復古的なコミュニティ再生には賛成できないし、うまくいくものではないと思う。
私が訴える新しい地域コミュニティは、自立した個人が、共生の目的意識を明確に持って、
自らの意思で参加していくコミュニティである。
昔からの村型のコミュニティではなく、いまの価値観・暮らし方にあった、また、いろいろ異質な人が
共生していくための、コミュニティをつくっていかないといけないと考えている。
再生というからには、壊れた現状からの再生ということなのだが、
このコミュニティの再生というもののあり方については、ものすごく議論が拡散している。
いわゆる地縁血縁に基づいた従来型のコミュニティに今の人たちを参加させていこうという考え方が片方にある。
個人主義をあらため、みんなで支え合うコミュニティを復活っさせたいという考え方である。
私はこういう復古的なコミュニティ再生には賛成できないし、うまくいくものではないと思う。
私が訴える新しい地域コミュニティは、自立した個人が、共生の目的意識を明確に持って、
自らの意思で参加していくコミュニティである。
昔からの村型のコミュニティではなく、いまの価値観・暮らし方にあった、また、いろいろ異質な人が
共生していくための、コミュニティをつくっていかないといけないと考えている。
マニフェストについて
自民党のポスターを見ていると「実現できる政策を」「できない約束はしない」などの言葉が並んでいる。
民主党のマニフェストのことを言っているのだと思うが、現実の課題に向き合わず、できそうなことしか約束しない政治家など必要ないと私は思う。
いまの民主党政権の問題は、できない約束をしたことではない。
少子高齢化や社会保障の持続可能性、中央集権の弊害など今ある課題を解決するために、マニフェストに書かれた多くの政策を掲げたはずである。実現させるための実力がなく、全く実現できていないことが問題なのだ。
何をやるにも覚悟がいる。反対の意見もあるし、いろいろな問題が出てくる。それらに向き合って、実現をさせていかないといけない。いまの政権にはそれができていない。実現が難しいから、公約を修正しようという話になる。これでは信頼を得られない。
「できそうな政策」を掲げても無意味。いまやらないといけない課題を見つけて、その課題の解決につながる政策を掲げて、それを実行していかないといけないんだと思う。
民主党のマニフェストのことを言っているのだと思うが、現実の課題に向き合わず、できそうなことしか約束しない政治家など必要ないと私は思う。
いまの民主党政権の問題は、できない約束をしたことではない。
少子高齢化や社会保障の持続可能性、中央集権の弊害など今ある課題を解決するために、マニフェストに書かれた多くの政策を掲げたはずである。実現させるための実力がなく、全く実現できていないことが問題なのだ。
何をやるにも覚悟がいる。反対の意見もあるし、いろいろな問題が出てくる。それらに向き合って、実現をさせていかないといけない。いまの政権にはそれができていない。実現が難しいから、公約を修正しようという話になる。これでは信頼を得られない。
「できそうな政策」を掲げても無意味。いまやらないといけない課題を見つけて、その課題の解決につながる政策を掲げて、それを実行していかないといけないんだと思う。
事業仕分けについて思う
先日、民主党市議団の事業仕分けを傍聴に行った。
いま、議会や議員の仕事とは何かということが問われている。
本当に市民に必要とされる議会や議員になっていくには、こういう議論が予算審議で徹底的に行われ、その結果、予算案が修正されるということを「当たり前」にしていかないといけないと思う。
京都市会で予算案が否決や修正されたということは、なかなか事例がないのではないか。
もうひとつ、事業単位での仕分けも大変な作業だが、個々の事業の中身のお金の使い方まで分析したらもっと大変な作業になる。
例えば事業を広報するとして「ビラの枚数や配布方法は適切か」「ビラの作成単価や発注はどのようにやったか」など。
そうしたことをしっかりとチェックできて、かつそれをわかりやすく市民に示すことができる能力が
議員に求められるのだと思っている。
いま、議会や議員の仕事とは何かということが問われている。
本当に市民に必要とされる議会や議員になっていくには、こういう議論が予算審議で徹底的に行われ、その結果、予算案が修正されるということを「当たり前」にしていかないといけないと思う。
京都市会で予算案が否決や修正されたということは、なかなか事例がないのではないか。
もうひとつ、事業単位での仕分けも大変な作業だが、個々の事業の中身のお金の使い方まで分析したらもっと大変な作業になる。
例えば事業を広報するとして「ビラの枚数や配布方法は適切か」「ビラの作成単価や発注はどのようにやったか」など。
そうしたことをしっかりとチェックできて、かつそれをわかりやすく市民に示すことができる能力が
議員に求められるのだと思っている。
2011年1月4日
子ども手当と消費税議論
今年の予算編成にあたって、近い将来の消費税増税が避けられないということが明らかになってきた。
一方で、子ども手当や高校無償化などのばらまきをしながら消費税増税はおかしいという議論もある。
しかし、私は消費税増税をしても、子ども手当を増額すべきであると思っている。
子ども手当の発想は、子育ての負担を社会全体でしようというものであったはずである。
子どもを育てる家庭が子育ての費用を負担するのではなく、社会全体で負担しようというものである。
だから、本来ならば増税して手当を支給するというのは正しい姿である。
子育てをする世帯を支援し、それ以外の世帯が負担をわかちあうための仕組みであり、
今の日本にそれが必要であるから、導入されたのである。
もちろん保育所の充実なども必要。子ども手当と一緒にやっていくべきだ。
どこかに負担増をせずにそれをやろうとしたのが、間違いなのだと思う。
もう一つ、日本の税制はまだまだ直接税に比重が大きい。
働いて所得を得る人が、多くの税を負担してる。
この形では、多くの資産を形成してリタイアした人の税負担は軽くなる。
これを消費税の比重を高めることで、資産を持つ人からの税収をあげることが
できるようになると思う。
国民的な合意形成は難しいが、私は消費税を上げ、その財源で子ども手当を含む社会保障財源を
工面していくべきだと思う。
一方で、子ども手当や高校無償化などのばらまきをしながら消費税増税はおかしいという議論もある。
しかし、私は消費税増税をしても、子ども手当を増額すべきであると思っている。
子ども手当の発想は、子育ての負担を社会全体でしようというものであったはずである。
子どもを育てる家庭が子育ての費用を負担するのではなく、社会全体で負担しようというものである。
だから、本来ならば増税して手当を支給するというのは正しい姿である。
子育てをする世帯を支援し、それ以外の世帯が負担をわかちあうための仕組みであり、
今の日本にそれが必要であるから、導入されたのである。
もちろん保育所の充実なども必要。子ども手当と一緒にやっていくべきだ。
どこかに負担増をせずにそれをやろうとしたのが、間違いなのだと思う。
もう一つ、日本の税制はまだまだ直接税に比重が大きい。
働いて所得を得る人が、多くの税を負担してる。
この形では、多くの資産を形成してリタイアした人の税負担は軽くなる。
これを消費税の比重を高めることで、資産を持つ人からの税収をあげることが
できるようになると思う。
国民的な合意形成は難しいが、私は消費税を上げ、その財源で子ども手当を含む社会保障財源を
工面していくべきだと思う。
2011年1月3日
今年の政策課題
今年の一番の政治課題は何だろうか?
政権交代への期待が消えたいま、やはり長年放置させれきた難しい課題に、政治が真剣に取り組まねばならないと思う。
今の日本の社会の姿が、時代にあわなくなっているのに、変化できずにきているということが、いまの閉塞感を生み出している。
まず、日本の経済はこれまで生産を重視されてきた。ものづくりの国という言葉に象徴される。
しかし、ものを加工して生産するだけではなく、どんな付加価値が生み出されたかを重視していく経済に
変わっていかねばならないのだと思う。ものづくりといっても、加工品をつくりということよりも、アイデアやサービスを売る経済の仕組みへと転換していかないといけないのだと思う。
携帯電話を作るというときに、電話を組み立てるよりも、例えばスマートフォンというコンセプトを生み出す方が、価値がある。そういうことが重視される経済を、つくっていかないといけない。
農業分野でも、作ることを重視するというよりも、消費を重視し、何が消費者に受け入れられるのかを考えた農政へ転換していくことが必要である。米が余っていくのに、米を作り続けることを進めても仕方がないと思う。
これからしばらくは、このブログでも、私の考える今年の政策課題を書いていきたい。
登録:
投稿 (Atom)